TOP 学び ブッダメガネ 寺子屋ブッダの仏教講座 vol.5菩薩チャレンジ!〜ロッパラミツで仏教を実践する〜

寺子屋ブッダの仏教講座
vol.5菩薩チャレンジ!〜ロッパラミツで仏教を実践する〜

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これまで、苦の原因は“無明”にあり、その“無明”はとっても自己中心的で手強い相手であると学びました。また、この“無明”という自己中心的な欲望をコントロールする事が、仏教の目指すところであると伝えました。

それでは具体的にどの様にすれば、無意識にわき上がる自己中心的な“無明”をコントロールする事ができるのでしょうか?仏教には、その実践的な修行を指す“菩薩行”という言葉があります。

菩薩とは、仏を目指す存在。“菩薩行”とは、読んで字のごとく、「仏を目指す行い」です。自己中心的な欲である“無明”から解き放たれ、慈悲にあふれた存在になろうとする行い、それが“菩薩行”なのです。

菩薩行は分類すると布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つがあり“六波羅蜜”(ロッパラミツ)と言います。

布施
一口に“布施”と言いますが、実は布施には“無畏施”・“法施”・“財施”、の3つが存在します。
“無畏施”とは、その人の恐怖や恐れを取り除く事。例えば、電車で座っている時にお年寄りが立っていたら席を譲ることなどを指しています。(お年寄りの畏怖を取り除く行為という解釈)
“法施”とは仏の教えを施す事。
“財施”とはお金や品物、権利を施す事。財施は、どうせ余っているものだから施すということではなく、たとえ自分に必要なものであっても喜んで分けるという分かち合いの姿勢が大切です。
少々、乱暴ですがボランティア活動に例えるなら、活動そのものに参加する事も、その理念を他の人に伝える事も、募金や寄付に応える事もすべて大切な布施行と言えます。また、布施の行為で大切な事は、してあげているではなく、させて頂くといく心です。

持戒
持戒とは、戒を保つという事です。戒とは自発的な「〜しないように心がける」という気持ちの事。つまり他の5つの菩薩行に関して習慣性を持つという事で、無畏施の例で言えば、「お年寄りに席を譲るという行為を習慣化しなさい」という事です。お年寄りに席を譲るという事が習慣になっていると、逆に譲らない時は気持ちが悪くなるものです。この様に良い行いに習慣性を持ちなさいという教えが持戒です。

忍辱
忍辱とは、様々な困難に耐え忍ぶ精神力を持つと同時に、自分の理不尽な部分も認めなさいという事です。お年寄りに席を譲りたいが、自分も大変疲れていれば、いけないと思いながら見て見ぬ振りをしてしまう事があると思います。つまり、ちゃんとしようと思っているのに出来ない自分も認め耐え忍びなさいと、そして懺悔の気持ちを大切にしなさいという事です。

精進
精進とは、他の5つを弛まず努力し続けなさいという事です。一瞬一瞬に新しい自分が生じるのだから、菩薩の行為を一度だけ行っても次の瞬間もコントロールしなければ地獄かもしれません。不断の努力が必要なのです。それが仏教の実践であり、修行というものです。常に前に進む為の行為を意識しなければなりません。
しかし、前に進む為の方法は人それぞれあって良いのです。走ろうが歩こうが、苦行しようが易行しようがかまいません。なんなら休んでも良いのです。その休憩が次の一歩の為の休憩なら、それは精進です。大切な事は、前に進もうとする行為か否かという事です。

禅定
禅定とは、心を穏やかに保つ努力をしなさいという事。座禅を組むだけが禅定ではありません。もちろん座禅を組む事で心の安定が得られる人はそれで良いのですが、そうでない人や、そもそもその様な機会に巡り会えない人もいると思います。自分に適した方法を見つけて下さい。仏教では六根という観念が存在します。六根とは「目、耳、鼻、口、体、心」の6つです。私たちは外からの情報を、この6つのセンサーを通して認識し、また発信しています。日々お世話になっているこの機能もクリーニングしないと汚れっぱなしになり、外からの情報も正しく認識出来なくなり、また正しく発信出来なくなります。この機能をクリーニングする為に修行が存在します。是非、自分に適したクリーニングを見つけ出して下さい。

智慧
智慧が身についた状態とは、世の中を自己中心的ではなく、“ありのままに見る”ことのできるようになった状態、つまり色メガネを外した状態を指します。色メガネを外す事ができれば物事を、自分勝手な決めつけをしないので感じることができるため、「こうあってほしいと願う理想」と「あがないようの無い現実」の間にGapが生じることがありません。つまり、苦しみが生じないという事です。
実は智慧と他の5つは、車の両輪の様な関係です。例えるなら、布施・持戒・忍辱・精進・禅定←→智慧、この様な関係図です。5つの菩薩行を行う事で智慧が身につき、またその智慧が他の菩薩行の理解や行為に深みを持たせるという相互関係にあるのです。

以上が、“六波羅蜜”の内容です。

“菩薩行”という行為を通して、人間が根源的に具えている自己中心的な“無明”をコントロールし、“苦”から解放される事。これこそが、「仏教を実践する」という事なのです。

Vol4でお伝えしたように“無明”とはかなりの強敵です。1度や2度ばかり菩薩行を実践しコントロール出来たとしても、またすぐに暴れだします。“無明”は「コントロールし続ける」という発想が必要なのです。仏教には、覚りという言わば“上がり”があるように思われがちですが、あくまでも仏に成ろうと努力を続けることが仏教の実践であって、“上がり”は存在しません。

お釈迦様は弟子達に「常に弛まず歩み続けなさい」と言いました。自分というものは、一瞬一瞬つくられる存在であり、いつも一定しているものではないのだと考えたからです。この、「自分は一瞬一瞬つくられる存在である」という考え方には、お釈迦様の教えの根本的な思想が隠されています

次回は、仏教を更に深く知るため、お釈迦様が出家から覚りまでに体験された修行とはどのようなものだったのか?そして、お釈迦様はそれらの修行の旅をどのように捉え、どのような教えを築かれていったのか?考えたいと思います。

お楽しみに!