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ゲド戦記に見る仏教。

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(農民は田畑を捨て、職人は業を忘れる。)

世界の均衡(バランス)が崩れつつある。

人々はせわしなく動きまわっているが目的は無く、
その目に映ってるものは、夢か、死か、どこか別の世界だった。
 
人間の頭が、変になっている。
 

災いの源を探る旅に出た大賢人ゲドは、

心に闇を持つ少年、エンラッドの王子アレンに出会う。
 
少年は、影に襲われていた。
 

影におびえるアレンの前に、顔にやけどの痕の残る

少女テルーが現れる。
 
命を大切にしない奴なんて大嫌いだ!!
 
この夏、人と竜はひとつになる。
 
スタジオジブリ「ゲド戦記」のボディコピーより
 
ここの所、立て続けにジブリ映画を見ている。
“千と千尋の神隠し”“となりのトトロ”etc。
色々著名な作品が多いスタジオジブリだが、最近どういう訳か大変評価の分かれる“ゲド戦記”に心ひかれた。
 
というのは、素人の私では映画的な評価は分からないが、仏教的な側面で見ていると、かなり本質を突いている気がするのだ。
 
魔法使いハイタカは、災いの原因を突き止める旅の途中で、エンラッドの王子アレンと出会う。父王を刺し、その父の持ち物であった魔法の剣を持って国を出たアレンは、実体の無い『影』に追われ、精神を病むようになっていた。世界を混乱させる力はアレンの頭の中にまで及んでいた。
 
誰でも本質的に備えている影、つまり『心の闇』だが、それを理性でコントロールしているのが日常だ。
しばしばコントロールが効かなくなり闇が表に出たり、また引っ込んだりと繰り返している。
 
王子アレンは世界の均衡が崩れ、その影響で自身の均衡も崩れてしまう。
バランスを崩したアレンは、本来一つである自分が自分と闇に乖離してしまった。
 
しかしこの事は、王子アレンにのみ起こった特別な話ではないと思う。
 
私達も程度の差はあれ、不安や怒り、悲しみを爆発させ、その感情に支配されてしまう事があるだろう。
お釈迦様はこの状態を、本来の自分と乖離した自分が出現し、その乖離した自分が暴走する為“苦しみ”が生まれると説いている。アレンで言えば闇の暴走だ。
 
仏教では、“闇を無くすのではなくて、暴走しないようにコントロールする。”というのが目的だ。
 
人間誰しも心の闇を持っている。これを無くそうとすると、そこにまた“苦”が生じる。
その自分の闇を知って、コントロールしてあげるのが大切である。
 
アレンのように『闇』とのバランスを崩しそうになったら、そんな時こそお寺を活用して欲しいと思う。